院長紹介
院長 丸尾 傳

血液型:A型
趣味:テニス、ダイビング、釣り、アウトドア、家庭菜園
特技:何を食べても美味しい
メッセージ:どんな事でも、口でお悩みの方は一度ご相談下さい。きっと良い解決方法をアドバイスできると思います。
丸尾 傳 過去から現在までを語る
子供の頃

・ 小学生の頃から学年で1〜2番を競う背の高さで、6年の時に履いていた28cmの上靴は特製で職員室に入る時に必ず頭を下げてから入ってくる礼儀正しい子 供だと担任の先生に褒められたものでした。(勿論鴨居に頭をぶつけない為)
・ 背も高かったけど運動も得意で走るのも速く、村の相撲大会ではいつも優勝して相撲部屋へ来ないか?と勧誘があった程でした。 そんな身体に似合わず意外と手先が器用で野山で(今の様にゲームのなかった当時遊びでのフィールドは野山でした)小刀を使って様々なおもちゃ道具を作って 遊ぶ活発な子供でした。また動物が大好きで、虫から魚、鳥など色々な生き物を飼育して子供の頃の夢は動物園の園長さんになる事でした。
父のこと
・ 家はミカン農家で次男として生まれた私は子供の頃から長男と違って家を出て自分で生きてかなければいかないんだからと自覚を求められました。
・ 父は子供のしつけにとても厳しい人で脱いだ靴は揃える、靴のかかとは踏まない、学生服の襟のフックは止める、机に肘をつかない、弱い者いじめはするな、特 に人様に迷惑のかかる様な事には異常に厳しい人でした。 そんな父でしたが子供の頃から一緒に魚釣りに行き、舟の操作や海の怖さや楽しさを教わり、今でも釣りやダイビングの海遊びに興じるのはこの頃の父の影響で しょう。
高校時代

・ 走りの得意な私は、陸上部に入部したものの厳しい練習と記録が伸びずに悩んでいた時、背が高くバレーボールも得意だった私に目をつけたバレーの顧問が何と してもバレー部に入って欲しいと家にまで来て勧誘してくれましたが父は「男が一度始めた事を一年も経たず止めるのはダメだ」と断固として許してくれません でした。
・ 結局3年間陸上を続ける事になりましたが、そんな学生時代も終わる頃、あまり社交的でなく生き物が好きで理科系が得意、そして手先が器用、こんな私を生か せる職業はと考えて歯科医の道を選びました。 あまりにも実家の職業と違う道を選択した私に両親は驚きましたが「必ずやり通します。行かせて下さい」の一言に父は黙って頷いてくれました。厳しい父でし たが、私の志を理解してくれたんだとその時の事を今でも感謝しています。
浪人時代
・ 特別な進学校でもない普通の高校でクラブ活動に明け暮れて過ごした3年間でしたから、志を立てたからといって、すんなり志望校に進学できる程世の中は甘く ありませんでした。
・ 経済的にも親に負担をかけたくなかった私は自宅浪人を決めてそれまでほとんど真剣に取り組んでこなかった受験勉強に手探りで取り組みました。先の見えない 精神的にも不安な一年間でしたが、この時程真剣に勉強した事はありませんでした。この時の先の見えない辛い状態で、自分の信じるものを求めて頑張れた自信 が、今でも苦しさを乗り越えるバネになっていると思います。 元々目の良かった私の視力は浪人の間に2.0から0.4に落ちていました。それだけに志望校に合格した喜びはひとしおでした。
大学時代
・ 大学はほとんどが好きな理科系の科目で皆の嫌がる実習も私には手先の器用さを生かせる得意科目なので浪人時代と違ってあまり苦労しない学生時代でした。
・ 大学に入ったらラグビーをやる、私の足と体力が生かせる男のスポーツだと心に決めていましたが、歯学部にはラグビー部はなくがっかりしてキャンパスを歩く 背の高い私に目を付けてきたのがバレー部でした。そして入部したバレーボール部の活動に専らエネルギーを注ぎました。
・ 入部当時、全国大会で最下位のチームを卒業の年には優勝に導くことができました。ちょっと自慢になりますがバレーボールが盛んだった当時、他の歯科大の選 手から愛知の大古(当時全日本のエースアタッカー)とニックネームされ、他校から最もマークされたエースアタッカーでした。入部1年目に最下位で体育館の 隅で流した悔し涙と6年の時に優勝して飲んだ美酒は今でも忘れられない思い出です。
勤務医時代

・ 卒業後は病院に勤務しながら週に一度母校の口腔外科の研究生として在籍しましたが、熱心に研究するというよりその頃覚えたテニスにのめり込み、次第に外科 の教室からも遠ざかり卒業後3年経った頃、開業準備の為に松山での勤務を決めました。
・ 給料の良い所よりしっかり勉強の出来る事を目的に日浅歯科(松山)に勤めました。ここで私の開業医としての基礎と一口腔一単位の治療という考え方を当時の 院長に叩き込まれました。私の開業医としての方向を決定づける素晴らしい出会いで今でも感謝しています。 診療は、25年前の当時としては異例の丁寧さで、一人ずつ口の中の悪い所を調べ治療計画を立てて説明し歯磨き指導を中心として全体の治療計画にのっとって 処置を進めていくという、理想的な治療方針でした。
・ そしてその高いレベルの治療水準に合わすべく私は毎日翌日のカルテを持ち帰って治療計画を立て、難しい治療は本で調べて次回の治療に備えてイメージトレー ニングをする日々が続きました。こんな医院を私も作りたい、そういう思いで3年後天山の地に開業しました。
丸尾歯科を開業して

・開業当時はまだまだ虫歯治療が多く歯槽膿漏の治療や歯ブラシ指導も珍しかった頃、私も一人一人に歯磨きをお教えしながら 歯磨きを基本とした虫歯治療・歯槽膿漏治療を行い少しずつ皆様に治療の主旨を理解をして頂き、支持される患者様も増えてきました。
・ しかし5年が経ち10年経つうちに、数年ぶりにお越しになる患者さんの口の中の状態に唖然とさせられる事多くなりました。中には完全に治したはずなのに、 以前の治療の時よりさらにひどく歯槽膿漏を再発されている人。高額の治療費をかけて全体に冠を入れたのに虫歯の再発で冠をはずして再治療が必要になった 人。このままではいけない。どうすれば再発しない再治療の必要ない、壊れない状態を保てるのか?様々なセミナーに参加し、講師の先生の医院に見学におしか ける事もありました。そして得た結論は「予防」でした。

・ まず虫歯にならない生活習慣を患者さんと共に築いていく。そして今ある虫歯は治したら再発させない。10年経っても20年経っても壊れなくする。そして歯 槽膿漏に対しては現在の状況を改善完治したら二度と再発悪化をさせない。そのため定期クリーニングを通して良い状態を患者様と共に持続していく。この考え 方をより多くの人にお伝えしたい。実践していきたい。そして「お口を通して全身の健康づくりのお手伝い」がしたい。
・ その為には食生活を含めた日常生活が語れるような 「コミュニケーションを大切にした医院にしたい」 「常に安全で最新の治療を提供したい」 「リラックスできる怖くない歯科医院にしたい」 まだまだ発展途上の医院ですが、お口の健康を通して豊かな人生を提供できる様日々研鑽に励む毎日です。 今私たちはそれを望む意識の高い方々と共に歩んでいきたいと考えています。






